国宝 青不動明王で世直し_。
天台宗、青蓮院門跡は三門跡の1つとして古くから知られていて、三千院、妙法院と合わせて京都の名所としても有名である。
その青蓮院で国宝青不動明王がご開帳されるというので目の保養とばかりに京都へ出掛けた。
紅葉も盛りの時期とあって京の街は賑わいをみせていた。 寺社仏閣の庭は勿論、軒を連ねる家の庭先から見える木々も葉を真っ赤に染め、観光で訪れる人達の目に映え心癒すひと時を演出してくれている。
青蓮院の境内入口に樹齢100年を超えるであろう大木も、緑から赤に衣替えを済ませ訪れる人々を出迎えていた。
青不動明王は国宝、秘仏と言われるだけあって先日の奈良興福寺で御開帳されていた国宝阿修羅像に負けず劣らず神秘的だった。
青不動が青蓮院で御開帳されるのは初めてのことで、過去に『大阪万博』『平安仏画展』『比叡山・高野山名宝展』の3度しか公開されていない。
何故、この度青不動明王を公開するのか?という疑問には公式サイトが答えてくれている。
以下引用_
道徳心の荒廃が顕著になった現代、辛い事件があまりにも多すぎます。この混迷の世の中で、青不動の強いお力をいただいて、いろいろな問題を少しでも良い方向に導いていただきたいと考え、ご開帳を行うことにいたしました。
青蓮院での青不動ご開帳は創建以来初めてで、過去には1970年の「大阪万博」と1986年の奈良国立博物館「平安仏画展」、1997年「比叡山・高野山名宝展」の3度しか公開されておりません。
これまでにも数多くの展覧会、国宝展からの出展依頼がございましたが、長年お断りしてまいりました。青不動明王像は国宝の中でも、非常に重要度の高い国宝で、美術品としても大変優れたものであり、歴史的にも大変貴重なものでございます。しかし、青不動は信仰の対象としての礼拝画像であり、飾られるだけのものにはしたくない、という意図のもと、これまでそういった展覧会への出展を避けてきました。
_引用終り
大変貴重な芸術を鑑賞できたことへ感謝。
道徳心の荒廃・・・心痛む事件・事故が年々多くなり、事件性は陰湿且つ軽率な動機が目立つ。
故に青不動明王の神通力をお借りするしかないのだろうか。。。
川西市役所の商工・観光課から連絡が届く。
先日の福知山大江山酒呑童子まつりでの鬼武者行列の様子を川西市のサイトで公開しましたとのこと。 テクノアートの本社が有る川西市には京都府福知山市大江山の鬼を退治した、源頼光というヒーローがいる。
鬼は『酒呑童子』と言い、日本3大悪妖怪の一つとして語り継がれている。説によると大阪の茨木に棲む『茨木童子』と共に、しばしば京都に現れて貴族の姫君を刀で切って生で食したり、仕えさせたりしたと言う。見かねた帝が鬼退治を命じたのは、摂津源氏(兵庫県川西市多田)のヒーロー源頼光を筆頭とする討伐隊であった。頼光は酒呑童子と酒盛りの最中に毒酒を飲ませ、身動きできないようにしてからその首を断ち、京都へ持ち帰った。
その道中で奇談が一つ有る。都へ入る直前の老の坂峠の地蔵尊が不浄な首を京の都へ持ち込むでないと言うのだ。以後、酒呑童子はズシリと重くなり、その場所から動かせなくなったので、頼光らはそこへ埋葬した。それが現在も首塚として残っている。
川西市では『源氏まつり』、福知山市では『大江山酒呑童子まつり』と称して毎年イベントを行っている。実はその『第28回大江山酒呑童子まつり』に源頼光に扮して参加したのだった。川西市の広報紙を見ていて偶然にも頼光役を公募している記事を見つけ迷わず応募。「どうせ年齢で蹴られるだろう。こんなオッサンよりも若いイケメンの方が良いに決まっている。」そう思ってダメ元で応募したらビンゴ! 役場からの電話は年甲斐も無く小躍りするほど嬉しかった^^
こんな経験は滅多に出来るもんじゃない。甲冑兜を見に付けて、家来を引き連れてイベント会場を鬼武者行列のパレード、舞台に上がって口上を述べる。『やぁやぁ我こそは、兵庫県川西市から参った源頼光こと“川内カツシ”でござる。今年も家来共々お招きいただき誠にかたじけのうござる・・・(以下略)』こんな感じで成りきってしまった。 人前に出る機会も多くプレゼン等にも役に立つ経験だと思って参加したのだが楽しく充実した時間を過ごせた。
川西市公式サイト 季節のイベント
実名入りでウハウハでござる。
『鬼武者じゃなくて落ち武者みたい』というツッコミは無しで m(__)m
2009年12月10日
企画営業部 川内カツシ