夏の風物詩の一つである蝉も時には耳障りに聞こえ、思わず「セミーーーー、五月蠅ぇーーーーーー」などと怒鳴ってしまいたくなる時も有る。
今朝の通勤途中、1週間の短い命を全力で生き抜いた蝉が歩道の上に沢山力尽きているのを見た。 半月ほど前に街路樹の植え込みを見た時は蝉が抜け出した穴を彼方此方で見付け、見上げれば蝉の抜け殻が鈴なりだったのを覚えている。 今年、夏の訪れを知らせてくれた蝉はおよそ5〜7年前に卵としてこの世に生まれ、1年後には幼虫になって地中へ潜り、一生のほとんどをそこで過ごす。満を持して地上へ出てきたら「五月蠅い」と煙たがられたのではたまったものではないだろう。
一週間もの間、ドキドキと生きている喜びを感じ、力いっぱい鳴き続ける蝉。昔はもっと活動の場所が多かった筈なのに、森林伐採で行き場が減少。勝手なのは人間の方で、蝉にとっては迷惑も甚だしいのだろう。
蝉の一生と人間の一生を比較対象には出来ないが、ちょっと切なくなった。 俺は子供の頃にも感じていただろうか・・・・・・覚えてないや。
知らないで生きるより、ドキドキと生きている喜びを感じる生き方をいしたい。
先日、読了紹介した「感情の解放」で心に響いたフレーズの1つ。
そうだ。恥をかいても笑われても出遅れてもいいのではないか。それよりもドキドキと「生きている」という実感を味わえる人生にしたいものだ。
2010年8月6日
企画営業部 川内カツシ