『第19回おもろ能』で伝統芸能を観る :川内カツシ

10月2日の土曜日、午後6時開演の『第一九回 川西おもろ能』を観劇してきました。 能の観劇は今回で4度目ですが、まーーーーーったく分かりません。 辛うじて狂言は他の皆さんと同じタイミングで笑う事が出来るのですが、能に至っては言葉も意味不明でした。。。 回を重ねると理解できて面白くなるとの助言を励みにこれからも観劇してみようと想っています。

さて、今回の会場である兵庫県川西市けやき坂中央公園『おもろ座』は、彫刻家の流政之氏がデザインした石舞台である。

・写真は会場時刻の午後4時半過ぎの舞台。

残念ながら写真には写っていないが舞台の両ソデには大きな篝火が焚かれ、開演時間の午後6時頃には陽も山の稜線に落ち、辺りはうす暗く静寂に包まれる。自然の照明と音響効果も相まって、この舞台で演じられる能・狂言は厳かで贅沢な雰囲気さえ醸し出している。

川西市長のご挨拶や、おもろ能実行委員会の会長、副会長の洒落たスピーチも会場の雰囲気を盛り上げた。我が町川西市はご他聞に漏れず財政が厳しい状況であり、3年前から『協力金』という形をとって、『おもろ能』開催継続を願っている。 勿論、強力を惜しまず僅かながらも伝統芸能の普及と『おもろ能』の開催継続を願った。

会場に併設された展示ブースでは能に使用する『面』が幾つか展示されていた。


何となく不気味な印象が強い能面だが、じーっと見ていると見る角度によって異なる表情の豊かさに驚いた。 作者の想いが籠っているからなのか、吸い込まれる想いで能面を見続けた。

今回の能観劇にはもう一つ楽しみが有った。

パンフレット_。

会場の受付で配布されるパンフレットは私がデザインしたものだったので、会場のあちこちでパンフレットを手にして会話されている様子をほくそ笑みながら見させていただいた。何とも気持ちの良い瞬間だ。

開演前に実行委員の方から能について話をされていた。 時は戦国時代にさかのぼり、織田信長や豊臣秀吉も能の舞を身につけて皆の前で舞ったという話を聞いた。 戦国武将と聞いてイメージするのは屈強な肉体と明晰な頭脳を駆使し、戦場で戦う修羅の姿だ。 しかし、片方で芸能を重んじ能の舞を身につけるのは、戦場で求められる冷静な判断力を身につける為だったのだろうか。。。確かに名を轟かせた武将ほど芸能を身につけ、しかも秀でていたように記憶している。

【あらすじ】

仕舞(しまい) ※能の部類だが能面は被らずに短時間で演じる。
題目:春日竜神
鎌倉時代の初期、明恵上人が唐へ行きたいとの志を持って春日明神に参拝しますと、時風秀行(ときふうひでゆき)の霊が留学の必要はないと説得します。やがて、竜神が現れて、入唐を断念することを誓わせ猿沢の池に立ち去ります。鎌倉時代の初期、明恵上人が唐へ行きたいとの志を持って春日明神に参拝しますと、時風秀行(ときふうひでゆき)の霊が留学の必要はないと説得します。 やがて、竜神が現れて、入唐を断念することを誓わせ猿沢の池に立ち去ります。

狂言 ※能と能の間に演じられる喜劇仕立てが一般的で面は被らない。
題目:伯母が酒
酒屋を営む伯母を甥が訪問しますと、まだ一度も酒をふるまってくれたことがないので、今日こそは何とか飲んでやろうと策をこらします。しかし伯母はその手に乗らないために、甥は名案を思いつき、付近に恐ろしい鬼が出るといううわさを利用して、鬼の面をかぶり伯母を脅して存分に酒を飲みますが、酔いがまわり正体を見破られてしまいます。酒屋を営む伯母を甥が訪問しますと、まだ一度も酒をふるまってくれたことがないので、今日こそは何とか飲んでやろうと策をこらします。しかし伯母はその手に乗らないために、甥は名案を思いつき、付近に恐ろしい鬼が出るといううわさを利用して、鬼の面をかぶり伯母を脅して存分に酒を飲みますが、酔いがまわり正体を見破られてしまいます。

題目:田村
旅の僧が、京都の清水寺で満開の桜を見ておりますと、花守の童子が現われました。童子に寺の歴史を尋ねますと、坂上田村丸が願い事をたてて建立したのがこの寺であると言い、あたりの名所を教え、月に輝く満開の桜をめでて、田村堂の中に姿を消します。 夜半に経をとなえる僧の前に田村丸の霊が武将の姿で現われ、鈴鹿山の鬼神退治の様子を再現し、これも千手観音のお陰だと言って消えて行きます。

Closing

古を知りロマンを描いた愉快で感慨深い時間を過ごした。 来年は第二十回開催という節目であるので、何かしらサプライズ企画が有ることを期待している。

2010年10月4日
株式会社テクノアート 企画営業部
川内カツシ

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